2008年01月14日
“考える言葉シリーズ”より 仕事
仕事
「能動的に、“仕事”を楽しもう」と啓蒙したいが、その中の“仕事”という言葉について、少し考えてみたい。
もうだいぶ前になるが、“仕事”の意味について次のように習ったときは、目から鱗というか、腑に落ちた。
『・・・、「仕」も「事」も「つかえる」という意味があります。重ね、重ね「つかえる」のが“仕事”なのです。世のため人のために尽くすのが“仕事”なのです。そこに、生活のためとか、儲かろうなどという私心は何もないのです』
私心を捨て、世のため人のために尽くしたくなるような“仕事”を、自分の“仕事”として生きている人は、どんなに幸せで、豊かな心の持ち主なのだろうと、想像するだけでワクワクし、心底そうでありたいと思ったものだ。そのような“仕事”をその人の天職というのだろう。
佐藤一斎が、次のようなことを述べている。「天から授かった命である以上、必ず天職というものがあるはずだ。・・・だから漫然と生きてはならない」と。つまり、人それぞれ果たすべき“仕事”があるから、探し求める必要があると・・・・・。
そのためには、“仕事”に対する心構えを変える必要がある。先ず、受身で嫌々働くのは、ぜったい良くない。どんな“仕事”でも、能動的に、楽しく働くことだ。そうするには、もちろん、創意工夫がいる。
考えてみよう。今までもあったと思う。“仕事”を楽しいと思ったことが・・・・・。「報酬がなくても、いまの“仕事”をやりたい」という人がいる。「“仕事”の報酬は、“仕事”なのだ」。
本田健氏が、『きっと、よくなる! (2)』という彼の著書の中で、次のようなことを述べている。
「・・・・・仕事には次のようなすばらしい五つの報酬があると考えます。仕事で得られる報酬の一番目は、経験です。二番目は、やりがいです。三番目は感謝です。四番目は、つながりです。五番目はお金です・・・・・」
だから、生活のためにだけ働いている人は、“仕事”がくれるはずの報酬の五分の一しかもらっておらず、もったいないという。全く、同感である。どうだろう?他にもあると思うが、これだけの報酬を考えただけでも、能動的に働きたくなる気分だと思う。
“仕事”という言葉の持つ意味の豊かさを考え、思い浮かべただけでも、「丹精込めた、いい“仕事”をしたい」と心から願いたくなるから不思議だ。
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「仕事の報酬は、仕事」:元FRB グリーンスパンも同じことを言っていた
「丹精込めた、良い仕事」:技術者や職人からよく聞く言葉だ
どちらもすばらしい




