2008年05月24日
“考える言葉より 対象 ”
対象
幹部間のコミュニケーションを深めることによって、仕事におけるシナジー効果を高めたいという思いがある。さらに、小集団活動を通して、経営幹部の思想学習の場にもなってくる。
仕事上の様々な問題を共有し、その解決のために衆知を集める絶好の機会となるのである。「問題から逃げない。事実から目を背けない。すべて、本音でぶつかる」をモットーとしているので、時として、議論が白熱し、修羅場となることもある。
先だっても、部署間における仕事のやり取りによって生じた問題について意見交換をしている途中で、激するシーンがあった。こんなときは、決まって、お互いの言い分は平行線をたどることが多い。
何故、そうなるのだろうか?結論からいうと、お互いに「問題の原因は、自分の側にはない」と考えているからだ。つまり、本当のところは、お互いの間において生じた問題なのであるが、自分の心(意識)の外の“対象”である相手の問題として捉えているのである。
現代人の多くは、近代的知性の特徴と言われているのであるが、「自分と他人とは違う人間である」という自他を分離することによって自分の存在を認識する分離思考的な価値観を身につけている。だから、自分以外の“対象”ばかりへ意識は向けられ、自分自身へと向けられることが少ないといえる。
人間学において、高い思想を学ぶと、「それは良くない」ということに痛烈に気付かされるのであるが、ちょっとでも油断をすると、自分の感覚によって捉えやすい“対象”(相手)へと心を配ってしまうのである。
心の関心が常に自分の心に向かえばいいのだが、それがなかなか難しい。そこで、もう一つの方便を考えた。心理学でいう、心の投影だ。「出逢った相手は、自分である」という教訓を心得ておくことだ。
人間の心は、お互いの心の投影なのだ。つまり、互いに投影しあっているのであるから、一方行為ではあり得ないのだ。常に、連帯責任なのだ。仏教思想によると、人間の心には地獄界から仏界までの十界が存在しているという。つまり、お互いの心の中の地獄界を引き出すのか、仏界を引き出すのかは、まさにお互い様なのである。
経営幹部とは、人間関係における影響力の大きさを自覚できる人のことをいう。だとすれば、幹部ともなれば、すべて自己責任で考えるべきで、お互い様だというわけにはいかないだろう。
そのためには、心の“対象”が、常に自己である必要があると考える。
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心の投影だ。「出逢った相手は、自分である」という教訓から
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