2008年07月15日
“考える言葉シリーズより 知行 ”
知行
「知行合一とは、何ですか?」という質問に、陽明学の創始者・王陽明(1472〜1528)は「知って行なわざるは、未だこれ知らざるなり」と答えたという。
すなわち、「“知行”は連続して一体のものであり、“知行”は二つに分けることができない」のであり、「行動が伴わない知識は、真の知識ではなく、何の意味も為さない」ということであろう。
蓋し、名言である。私は、王陽明がいう「知行合一」とは今風の言葉でいうと「イノベーション思考」ではないかと考える。
“知”即ち学ぶということ。学ぶ目的は、成長に他ならない。そして、成長とは変化を起こすことである。経済学者であるヨーゼフ・シュンペーター(1883〜1950年)は、「組織や社会が持続的成長を成し遂げるためには、創造的な破壊を伴うイノベーションが不可欠である」という原理を説いたが、王陽明のいう「知行合一」も同じ想いであったと考える。
人間が学び、思考し、成長するということは、変革を意味するものでないと、それこそ何ら意味を為さないのである。変革とは、あらゆる過去の成功体験を捨て去ることであり、それらに抵抗する勢力をはねのけ、成長可能な未来を創っていくことである。すなわち、自己を革新するだけに止まらず、周りに強い影響力を発揮し、全体としての新たな価値体系をつくっていくのに貢献してこそ意味があるといえよう。
さて、それにも拘わらず、俗に「知行は何故、合一しないのか?」
一つに、王陽明の指摘の通り、「真の知」に至っていないのではないか。考え抜いていない。あるいは、考える基盤がない(「真・善・美」などの哲学の欠如)。
二つに、「志の低さ」ではないだろうか。知のレベルが低く、個人レベルの成長にしか考えが及んでいない。多様性(部分)を統合し、全体としての価値を創造するという気概が欠如しているのではないだろうか。
三つに、健全な危機意識の欠如ではないか。価値観が低い人は、小さな成功でもすぐに慢心に陥る。そして、自分の身辺で起きている失敗や変化に蓋をして、現実を直視しなくなる傾向がある。
私の持論であるが、経営計画は策定するプロセスで、そのすべての価値が決まるのである。すなわち、「策定のプロセス=思考のプロセス=行動の原点」。行動したくなるような思考をしなければ、「実行」も「検証」もないのである。
「知行」は連続して、一体であり、つねにイノベーション思考を持った行動派人間でありたいと考える。
_________________________________
キーワードは、『行動したくなる』
楽しく、続けられるという点 そして大切なのは、「評価」を受ける
良しにつけ、アシにつけ評価を受けるということが必要
「どの時点で、どの様な取組みをするか?」をプロセスを定めて行なう仕組み
表彰するイベントに仕立てる






